やり残した事を後悔するのなら今を大事にしようという話

昔からいつも悩む男だ

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[http://photo credit: Towards the Light via photopin (license)]

30代になると色々と思うことがある。

現在、過去、未来について。

現在については不満や焦り、未来については漠然とした不安、そして過去についてはやり残した後悔が多い。

僕にとって過去の後悔はとても厄介で、ふとした時に現れては心の袖を引っ張ってくる。

ワイワイしていたり、どんなに楽しい雰囲気の時でも、それが現れるととたんに気持ちが盛り下がる。

その迷惑なヤツが現れるっていうのにはパターンがあるようで、近年その時の感情を俯瞰で見てみると色々と分かってくるモノがあった。

基本的にベタな学生生活と友人関係に憧れがあり過ぎる

いつも思うのは大体こんなことだ。

・大学までにもっと沢山友人を作っておけばよかった(小学校~高校の同級生)

・その中で親友と呼べる者が居たらよかった

・今でも週末に集まったり飲んだりとワイワイできる関係が欲しい

・サークル活動をしておけばよかった

大体はベタな学生時代の友達付き合いを今でも欲する癖がある。

もう同年代って大抵結婚しているので、今更同級生にそういうノリを求めてもどうしようも無いのだけれど。

それは明らかに、学生時代にそういった経験をして来なかったというコンプレックスがあるからだろう。

だから今でも学生時代からの仲間たちっていう関係の中に混じると、踏み込めない境界線のようなものを感じてしまう。

そして大いに凹んでしまうのだ。

今それ思っても仕方ない

このネガティブな感情が厄介なのは、そういう思いに囚われて今の行動が億劫になることだ。

何だか一人だけ取り残された気になっていく。

RPGでクリアするために絶対に必要なアイテムを取り忘れたまま進んでいるような。

でももう戻れないヤキモキ感を持ち続けているような毎日だ。

自意識過剰なのか、自己肯定感が低いのか、呪いなのか、それは分からない。

隣の芝は青い、超青い

諺(ことわざ)は、昔からみんなが感じる事だからとても普遍的なものだと思っている。

きっと江戸時代も隣の芝生は青かったのだろう。

お隣のスプリンクラーから飛び出す水しぶきを見ながら、侍もヤキモキしていたのだろうか。

みんないつの時代も、同じ様な不安や妬みを抱いていたのだろうか。

そして諦めたり、我慢したり、打開したり、向上したりしたのだろうか。

少し分かった事がある。

結局、他人を色眼鏡で見ているのは自分の方なのだ。

そう、そして僕が掛けている色眼鏡のレンズがメチャメチャ青いのだ。

だから本当は枯れ気味な隣の芝生を見ても、「スゲー青いなぁ、羨ましい。。。」と思ってきたのだ。

・・・夏祭りでカキ氷はみんなブルーハワイにしか見えなかったのだ。

最近そんな事に気づいてきた。

素直が一番

最近心がけているのは、素直に青くていいなぁと言うことだ。

かっこいいですね、可愛いですね、背中の真ん中の筋肉すごいですね。

眉毛と目の間隔が狭くていいですね、襟足の長さがいつも絶妙ですね。

枝豆の茹で加減が最高ですね、平仮名の「ふ」がきれいに書けますね。

いいなあと思ったときに、卑屈にならずにそのまま言うことを心がけている。

そうすると、向こうも喜んでくれるし、こっちにも親切にしてくれるのだ。

そんな普通のことを今更になって気づいてきた。

そして、僕の褒める部分は若干マニアックらしく、とても受けがいいことにも気づいた。

これは自分の特技なのかも知れない。

という事を繰り返していたら、自分の周りにいい雰囲気が形成されてきた気がしている。

勿論失敗する時や、何も成果が無い時もある。

でも10に1つでも収穫があればいいと思っている。

それをかき集めれば、それなりになるんじゃないだろうか。

だからせっせとかき集めなくては。

隣の芝を見ている暇など、最近じゃぁ無くなってきた。

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