花粉が辛い日々です
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この時期になると高校卒業や大学に入ったことなどを思い返す。
10年ひと昔なんていうけれど、高校卒業が20年くらい前の話だと思うと恐ろしい。
光陰矢の如し、だ。
これを読んでるアラフォーの皆さんなら時間の速さと20年前という事に同じく驚きを感じるんじゃないだろうか。
だって人生の半分前だからね。
僕は高校を卒業して、何もしたくないと思っていた。
今回、僕が高校卒業した当時の事を書いてみたいと思う。
それで今、同じように思っている人の参考になればいいなと、そう思った。
大学受験をせずに浪人生に突入した
実は僕は高校を卒業して大学に入学するまでに1年間ずれがある。
いわゆる「浪人」という状態だった。
分かりやすいので受験に失敗して浪人という事にしているけれど、実際は違っていた。
高3の時に大学受験をしなかったのだ。
確か、センター試験は受けたと思う。
でも、一般受験をしなかった。
親には「何処を受けても受かる所が無い」という言い訳を言って納得してもらった気がした。
都内の真ん中より少し上の都立高校で、理系クラスに通い、成績も中の上くらい、英語と現国が得意だったと記憶している。
だからどこかの大学なら入れたはずだ。
でも受験しなかった。
その後の進路について話し合い、親の手前もあり予備校に通って1年を過ごすことにした。
結果から言うと、完璧なまでのモラトリアム期間を過ごし、現役でも確実に入ることが出来たであろうレベルの大学の理系クラスに入学した。
そこでその当時やりたいと思っていた勉強も出来たし、それはそれで今の自分に活きていると思っているので文句はない。
でも、あの頃の自分に会えるならば、無駄な遠回りをしなくても良いように思ってしまう。
もう少し器用に、そつなく生きても良かったと思うのだ。
無駄に浪人した理由を考えてみた
無駄な浪人は親にも負担がかかるし、時間も無駄にするのでオススメできない。
何故こうなったか、高校時代の自分を振り返ってみた。
1.何もやりたい事が無かったし、探す努力をしなかった
大学を目指すならば、学部を決める必要があった。
でも僕にはどこにも行きたいと思う学科が無かった。
高校卒業(本来は受験を志す高2くらい)までにその後を考えていなかった。
理想とプライドが高く、曖昧な理由で入学して失敗したくないと思っていた。
今思うと、その当時何となく気になる学部が有れば入学しても良かったと思う。
大学の4年間で自分の考えや好きなことは相当変わる。
高校までよりも大学生活の中で学ぶことや得ることの方が、「本当は自分が何をしたかったのか」分かることもある。
そして大学生くらいなら学科変更や退学して専門学校に通うなど軌道修正は全然可能だ。
僕の学科やこれまでに出会った人たちの中にもそういった人が数人いた。
まず動くことが必要だし、動くことでOK/NGのジャッジが出来るというのは経験上はっきりと言える。
2.進路相談をほとんどしなかった
当時の先生がとても苦手だった。
ポジティブな石田純一感が漂う担任が苦手だった。
なので殆ど相談らしい相談をしなかったと思う。
ただひたすらに、存在を消していた。
今思うと、こういうクソみたいなプライドを捨てておけば良かったと思う。
餅は餅屋という言葉が有るように、毎年何十人も就職や進学を見ている担任にアドバイスを受け、自分にフィットする大学や学科を教えてもらう努力をするべきだった。
そして、それこそ浪人中にも高校を訪れて先生の意見を聞いたって良かったと思う。
3.大学生活に憧れを抱けなかった
「キャンパスライフ」「サークル活動」という言葉に全く憧れを抱けなかった。
だからそういった部分で大学に入りたい!という思いに至らなかった。
今思うと、当時の自分は「絶対に大学デビューしたかったはずだ」と言える。
都内のオシャレなキャンパスで溌剌とした男女が交わる健全なサークルに入りたいと思っていたはずだ。
だって彼女欲しかったもん、サークルにバイトに汗を流したかったもん。
進研ゼミのマンガみたいなライフスタイルに憧れていたもの。
今ならわかる、今なら分かるんだ、当時の俺よ。
新たな世界や世間や周りにビビっていただけなんだとわかる。
でも君はそれを認めることが出来なかった。
なのでチャラい理由で進学しちゃアカン!と本気で思っていた。
だけどそれ程に学術的な欲求が無いタイプの人間であれば、大学進学はチャラい理由も含めて考えてしまって全然OKだ。
キャンパスがおしゃれだ、大学のネームバリュー、出会いがありそうだ、好きな子がその大学を目指している、なんて理由を含めても全然いいと思う。
スケベ心が有ったっていい、だって君はむっつりとしたスケベ野郎じゃなか。
当時はそういった自分を俯瞰で見ることが出来なかったのだ。
浪人をして思ったこと
僕自身1年間の浪人の末、大学へ入学した。
上述した問題に対して、浪人時代やその後に思ったことは次のようになる。
1.浪人1年間は多感な時期であるものの、やりたい事はあまり見つからない
浪人時代は滅茶苦茶勉強をしていなかったので、本を読んだり、色々と悩んだりしていた。
予備校には志望大学がはっきりしていて、そこをひたすら目指す人たちも大勢いた。
僕自身はぼんやりと理系大学、その中でもどんな学科を目指せばいいのだろうか?と結構悩んでいた。
結局は無理やりに近い形で志望大学を決めたけれど、1年間で自分の目標を見つけることは難しいと思う。
ただ18歳、19歳という多感な時期であり、その1年間で感じることは多いと思う。
僕が浪人して最も嬉しかったのは、学校をさぼって秋葉原に行った時に、伊集院光氏を見たことだ。
当時から彼のラジオの大ファンだったため、その驚きと感動は計り知れなかった。
2.進路相談は予備校の先生と高校の先生にしておけば良かった
予備校の先生は基本的に学力を基準に大学ついてアドバイスをもらえる。
または希望大学に対して、現状の学力の適正な判断をしてもらえる。
対して高校の先生は(おそらくだけれど)大学の情報やそこへ入った生徒の話などを話してくれるだろうし、浪人中の先が見えない気持ちを癒してくれるのではないだろうか。
僕はと言えば、結局最後までどちらにも殆ど相談をしなかった。
いい意味で利用すればよかったと思う。
3.大学生活についてのイメージが膨らんだ
予備校に入って一つ良かったのは、予備校自体が男女半々で勉強したしりして、結構大学っぽい事だと思う。
そこで彼氏彼女を作る人を見かけたし、男女でいつもつるんでるような仲良くなる人達もいた。
僕自身にそういう縁は無かったけれど、大学生活はこんな感じの延長線上に有るのかな?と思わせる雰囲気を感じたのは良かったことだ。
大学に入って、結局僕はあまり勉強をしなかった。
当初は入りたいと思っていた学科も、思っていた程に熱意を持てなかった。
サークル活動もせず、大学への往復とアルバイトの日々だった。
浪人をしたことで、現役で入学する人たちの若さ・生意気さが目立ち、最初は素直に絡めなかった。
今思えば高校卒業時に、浪人生になることが目的になってしまったのが失敗だったのだと思っている。
浪人を大学生になるという手段として活かしきれなかった。
僕の場合、そこまで得るものは無かったけれど、ただモラトリアムで受験勉強をするだけの期間を得る体験はできた。
中には2浪の末、大学進学せずにパソコン関係の専門学校に行って充実した日々を過ごした友人もいた。
僕が言えるのは早めに楽しみややりたい事を(それがどんなに小さくても)見つけてしまうこと、後は勢いでそこに向かって行けばおのずと何か見つかるという事だけだ。
見つからない場合ももちろんある、あるけれど、それらの日々は決して無駄にはならないはずだ。
僕でさえ、あの大学生の日々を今でも懐かしく思えるのだから。
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